前回は好奇心・興味・関心を維持し続けるには「知っていること60%、知らないこと40%」の割合にすることで、もっとも興味度が高い状態になることを紹介しました。
これらの割合は好奇心などが弱まっている人には非常に有効なテクニックです。(講演や講義をするときもこの割合を意識して作ると、聞く側も最後まで集中して聞いてくれることでしょう。)

ここでちょっと想像してほしいのですが、小さな子どもは好奇心などに満ち溢れているイメージがないでしょうか?

身の回りの色々なものに対して「あれはなに?」「これはどうなるの?」「あっちになにかある!」など、大人が疲れ果てるほどのなぜなぜ攻撃をしてくる姿は容易に想像できることでしょうし、もしかしたら読まれている方が今まさしくそういった攻撃を受けている最中かもしれません。

 

この子ども特に幼少期の溢れんばかり(どちらかといえば溢れている)の好奇心をずっと持ち続けることが出来れば、長々と書き続けてきたこの記事のテーマでもある「好奇心・興味・関心を高める」ことなどすぐ解決できてしまいます。
それが、年を重ねるたびにどんどん弱まっていく、数字で表すのであれば最初100だったものがどんどんなくなり最終的に0になっていく感じでしょうか。

ここで、天の邪鬼な自分は疑問を持ってしまうわけです。。。

―本当に子どもは生まれたときは必ず好奇心などは100の状態なのか?

ここで、乳幼児に関する興味深い話を紹介しましょう。

 

――

とある国で国の失策により孤児として国の施設に多く預けられる事態となった。

その孤児を受け入れたある孤児院では、大人数の赤ちゃんを育てていた。スタッフの都合上、孤児15人に対してスタッフが1人という現場であったが、多くの世話や作業を機械化することで対応した。また孤児の周囲の環境は白を基調とした部屋で余計なものはないきれいで整えられたところであった。もちろん毎日ご飯も出るし、看護師も毎日朝から晩まで交代で対応し育児を行っていた。

一方、とある孤児らは一般の介護施設や老人ホームなどの施設に預けられた。
そこの施設は、お世辞にも清潔とは言えずものであふれ、様々な小物などであふれた環境であった。スタッフ以外にも老人や障害を持った入居者もおり、騒がしい部屋でその孤児らはほかの入居者とともに生活をし、育てられた。

――

 

環境が大きく異なった2つの施設に預けられたという話ですが、どちらの施設で育てた方が乳幼児を育てるうえで良いと思いますか?

 

 

 

皆さん、何となく察しはついていると思いますが、前者の施設では乳幼児の脳の発達に遅れが見られ、後者の施設では一般的な脳の発達、中には平均以上の発達を見せた乳幼児も見られたといいます。さらに、周囲への興味や関心にも大きな違いがみられたといいます。
(※この話を何かの本で読んだのですが見つからず、記憶を頼りに書いているので多少異なる部分があるかもしれません。)

つまり、赤ちゃんは無条件で興味関心は高い状態で必ず生まれてくるわけではないのです。

一見、清潔な部屋で育てられた方がいいのではなどと考えたくなりますが、なぜこのような差が生まれるのでしょうか?
これは乳幼児期の“脳の発達”に大きくかかわる部分になります。

 

突然ですが、人が最も情報を処理している器官は“脳”であるのは分かると思いますが、一番情報を得ている器官をご存知ですか?

 

それは、“目”であるといわれています。(外の世界を常に見て色々な動きや色などを捉えていると考えると、確かに納得はします)
つまり、“目”から得られる情報は膨大であり、それが“脳”によって処理されている。言い換えると“脳”に入っている情報は“目”から得られているわけです。(記憶に残っているかどうかは別ですが・・・)

 

しかし、生まれてすぐの赤ちゃんはまだ視力がほとんど見えていないといわれています。その代わり、手による触覚や耳による聴覚で外の世界を感じている状態というわけです。

次第に“目”が見え始めると、一気に世界のからの情報量が増大します。
詳細は省きますが、この時期に脳を形成するうえで重要な脳神経の変化が生じます。

この時期に「目からの情報」や「耳からの情報」「皮膚からの情報」など様々な情報を脳に与えてあげることで、脳がしっかりと成長できる土台を作り上げるのです。

長々と書きましたが、このことから上記に書いたある国の2つの施設の話で、なぜ清潔な孤児院より雑多とした介護施設で育った赤ちゃんで、脳などへの成長に差が生じたのか、分かって貰えるかと思います。

赤ちゃんがいる周囲が単色で、周りからの声掛けや触れ合いがない、といった環境の変化が少ないと、そのようなものに反応するための脳神経が発達せずに、反応が薄い、関心が薄い脳になってしまうわけです。

 

なので、脳の成長のためにも赤ちゃんの頃だけでなく幼稚園や小学校になったとしても、様々なモノを見せる、触らせる、新しい場所に連れていくといった周囲の環境をどう変化させるか、は非常に重要となります。

なにも、毎週動物園や水族館などに連れて行けというわけではありません。
半月に一回は壁のポスターや飾り物を変えてみるや、季節やイベントごとに合わせた置物などを置いてみる、テレビやラジオなど何かしらの音をながし続ける(言語能力育成の観点からも非常に重要。外国語習得などでよく事例に上がると思う。)など、たまに変えるだけでいいものから、普段から手軽にできることでも問題ありません。

また、成長したときに子ども本人の記憶に残っていないとしても色々な場所に連れていく、などとにかく周囲の環境に変化を持たせることで、それらを受け入れる・認知するための脳神経が育っていくはずです。

ただし、注意するのは赤ちゃんや子どもが質問したときに大人がきちんと反応してあげることです。

必ず正解を答えないといけないわけではありません。一緒に「なんだろうね」と考えてもいいのです。とにかく“反応してくれた”ことが子どもへ気になったことを聞いてもいいんだ、と安心感を与えることに繋がると思います。それが、ゆくゆくは「好奇心・興味・関心」に代わっていくのです。

 

ちょっと分かりづらいは話ばかりだったかと思いますが、言いたいことはあたかも好奇心や関心などの優劣は生まれ持った才能だから・・・ うちの家系はそういったものが良い家系ではないから・・・ と変えることができないものではなく、実は脳の成長や仕組みなどで説明ができる、つまり再現性(同じようにすれば誰にでも身に付く)があるということです。

ですので、これを機会に自分には関係ないことだからではなく、もしかしたらまだ成長できるかもと、違った視点で考えてみませんか?